教育はコミュニケーション
色々な人間がいるよなぁと、当たり前のことですが思います。
みんな好きな事は違うし、嫌いなことも違うんですよね。
考え方も違うし、価値観も違うんですよ。
だからコミュニケーションが大事で、相手のことを知ろうとすることが大事で、ちゃんと話を本質的に聞く必要があるわけです。
中学生にもなっていると、すでにその子の『生き方』というなにかが確立していて、それが『個性』って言われているわけですが、それに沿った形での指導をするのが、今のトレンドだと感じています。
昔は違っていて、絶対的に正しいと言われる価値観とかがあって、良い悪いが決まっていたような気がします。今はなんでも良い自由な時代でしょう。私は好きです。
かつての教育はコミュニケーションでなく、一方的な詰め込み指導がトレンドだったといえると思います。
それはオタクが自分の好きなアニメについて一方的に語るような、そんな教育だった気がします。
それを、私達は「授業」ということで黙って聞いていて、どれだけ苦痛だったことか知れないです。
私が生徒だった当時を思い出すと、オタク気質でマゾ気質だった私のような人間くらいしか、ちゃんと授業を聞いている人は居なかったような気もします。
たくさんの生徒とお話をすると《ウザくてキモい面白くない先生の授業はちゃんと聞いていない》って事実に気づきます。鋭い感性をもった子ほど、そんな先生の話は聞かないですね。
勉強ってのは、オタクとマゾのためのものだったんだろうなぁという、ほわぁと思います。
鈍感な子は自分の「嫌だ」という感覚を無意識に押し殺すことが出来るので、おおよそ授業をだまって聞くことが得意です。我慢が得意といえばいいですかね。他の人が我慢をしているところで、私は我慢の必要がありませんでした。苦痛とも嫌とも思っていなかったということです。
私が今の時代との教育のトレンドがコミュニケーションであると感じている大きな根拠がここらへんにあって、今まではオタクでマゾのために開講されていたような教育というものを、感性の鋭い大勢にちゃんと開放していく必要性みたいなのを感じているんです。
例えば奨学金の拡充の流れとか
» 特集-大学等奨学金事業の充実 | 政府広報オンライン http://www.gov-online.go.jp/tokusyu/shougakukin2017/index.html
大学無償化の流れまであったり
» 大学授業料、在学中無償化を=教育費軽減で首相に提言-自公:時事ドットコム http://www.jiji.com/jc/article?k=2017052200986&g=soc
教育に関してあと残されている障壁としては、もう面白くないくらいしか残されなくなるような気がしています。
楽しければやるし、楽しくないからやらない
結局ここにたどり着いていくんだろうなぁと。
教育者(私)や先生(家庭教師の先生たち)はもっともっと面白くならないといけない。
ゲームするより、スマホいじるより、面白くないと、そういうメリットがないと駄目なんだろうな。
自由(絶対的な正しい優先順位がない)時代であるがゆえに、教育という行為も競争にさらされている。
勉強をすることが生徒にとってためになるであろうと考えるならば、面白さの競争に勝つための努力は絶対に怠れないぞと考える次第です。
勉強は大事だ!やらないといけないんだ!という時代は終わりました。
これからは、自由な時代。
だから「勉強楽しいし、メリット有るから僕はやるけど、君はやらないのかい?」ってそんな時代。
曖昧な楽しさ、曖昧なメリットじゃなくて、もっとわかりやすい物を生徒に提示出来るように、がんばります。