人と交わすのは、”言葉”ではなく”思い”
昨日のベーシックスキル始めますの記事ですが、今日の記事の事を書きたいがための前ふりでした。
「人と交わすのは、”言葉”ではなく”思い”」
私はいつも日本語を使って他人と会話をしています。
他人だけではなく、自分との会話も日本語を使って話しているつもりです。
きっとこれを見る多くの人は、日本語という共通の言葉を使って意思疎通をしていると考えているはずです。
それは、本当に共通の言葉か?
こんなシーンを見たことはあるでしょうか?長年連れ添った夫婦の会話でよく見られるシーンです。
「おい、あれはどこにいった?あれをくれ!」
「はいはい。あれですね。」
ここで使われている言葉は、確かに日本語ですが、私が使っている日本語とは違うもののように思えます。
はい。“共通の言葉”ではないのですね。
そして、ここで重要な認識は、これが特殊な事例なんかではなく、ごく当たり前の自然な事象であるということです。
なぜ、ごく当たり前であるのか?
キミとボクは別の生き物だからです。
それは至極単純であきらかな事実。だから分かり合えないし、理解し合えない。
「私はあなたのことを完全理解している」なんてことは、ただの思いあがりです。
思い上がりとは、物理法則を無視しているという意味です。
ただ、他者を理解していると「思い上がってしまう」ことも、実は仕方のないことです。
というのも、人間は生まれた時、母親と自分が別々の存在という事がわからないのです。
私達は「自分・他者・世界すべての境界がわからない」という状態で生まれてきます。
故に、仕方がありません。勘違いすべくして、勘違いするのです。
私達は意識をしなければ、
「自分の使っている言葉と他人が使っている言葉が、別の言葉であるという事実」になかなか気づけないです。
「仲良くなる」というのは、ボクとキミの違いを知るということ
キミとボクは別の生き物だ。
故に私は、キミと分かり合えるように努力を惜しまない。
キミとボクは別の生き物だ。
故に私は、キミの言葉ではなく、思いを理解しようと必死に策を講じる。
キミとボクは別の生き物だ。
故に私は、キミに私を理解して欲しい。故にこのブログに、私の使う言葉の意味を書いていく。
私は「仲良くなる」という事を「互いの違いを知り。なぜ故に、違うのか?ということを理解できた時」に感じます。
ここに良し悪しは無いです。
ただ、私は「仲良くなる」という言葉の概念は、このように考えています。
そして、少し前、他の多くの人は、どうやら違うふうに考えているということも、理解しています。
すごく、面白いです。
まとめ
本日のベーシックスキルは、
キミとボクは別の生き物だ。故に分かり合えないし、理解し合えない。これは物理法則である。
故に、言葉は簡単には理解されない。
人が人と交わすのは、”言葉”ではなく”思い”でなければならない。
by ohashi
でした。
私はベーシックスキルを元に、思考を重ねて、自分なりの世界の方程式を作っているのですが、最近その方程式に「世界観構築論(仮)」という名前をつけてみました。そっちのほうも書けたら幸せだなと思っています。
ではでは(^^)