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テストの点数が高い人の特徴

勉強が好きで興味があって、楽しいと思うから、色々知ろうといつも積極的に知識をため込もうとしている。

点数を取りたいと強く思っていて、どうしたら良いかいつも考えていて、色々な方法を試していて、わからないことが有ると、人に聞いたり自分で調べたりする。

勉強を大切だと思っていて、勉強の優先順位が高く、何にも増してまずは勉強だと考えている。

勉強は好きではないが、将来やりたいことのためにはテストの点数が必要だと、どうしようもなく理解している。

勉強は好きでも嫌いでもないけれど、良い点をとると周りが褒めてくれて、なんかとって嬉しいから、なんとなく頑張っている。

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どうしたら点数を取れるようになるのか考えるためには、まず点数を取っている人をよく観察するところから始めると捗ると思います。

By |3月 22nd, 2017|日記|テストの点数が高い人の特徴 はコメントを受け付けていません。

「人の話をちゃんと聞きなさい」という指導の意味

人間の性質をよくよく観察しています。

どうやら人間は、面白いと思う事には興味関心が出てきて傾聴していくし、つまらないと思う事は早々に聞く耳がなくなるようです。話をしていると「興味ありそうだなぁ」とか「もう飽きて集中してないなぁ」とかわかります。

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よく「あいつは人の話を聞かない(だからあいつはダメだ)」という評価を耳にしますが、ちょっと違うなぁと感じます。

だって、つまらない話を聞かないのは人間として正常なんです。

きっとあなたの話は、その人にとってつまらなかっただけなんですよ。

 

人間は自分にとって本当に必要だと思う事は真剣だし、ちゃんと学ぶし覚えています。

真剣じゃないって事は、単にその人にとって大事じゃないってことです。

 

「人の話をちゃんと聞きなさい」という指導は、人間のもともとの性質(つまらないと飽きて集中しない)を捻じ曲げる行為なわけです。捻じ曲げるなんて表現をみると、悪い事のように感じてしまいますが、別に良い悪いは関係ありません。メリット・デメリットで考えて、指導するか指導しないか決めて下さい。

 

「面白ければちゃんと聞く・つまらないと聞かない」というのは、生徒にとっても、先生にとっても軽視できない事実だと私は思います。

この点を大事に、話す側・聞く側それぞれの立場からどういうスタンスで居ることが望ましいのか、よくよく考える必要があると思います。

 

個人的には、

話す側としては「聞いてもらえるように手を尽くそう」

聞く側としては「たとえ今面白いと感じなくても、それはまだ僕がこの話を面白いと感じられるだけのレベルが無いからで、いつかこの話を面白いと思えるかもしれないから、ちゃんと聞いておこう」

ってスタンスが気に入っています。

By |3月 14th, 2017|日記|「人の話をちゃんと聞きなさい」という指導の意味 はコメントを受け付けていません。

面白いことをストックしておく

常日頃色々情報を集めてストックしています。

流行の芸人や、面白いとおもったものは取り敢えず触れておきます。

それらを複合して定期的に面白いネタを考えて自分のコンテンツにしていきます。

面白いはきっと正義なのです。

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『面白いは正義』

これは私の私見なのですが、概ね正しいと思います。

対偶の「面白くないは悪」というのも正しいでしょう。

もちろん経験から学んだ結果だけではなく、昔に大学で受けた教育原理という授業で似たようなことを教わったという事情もこの説を補強しています。

良い授業の序列のはなし。

1489391488387

面白くてわかる授業が一番良くて、面白くなくて分からない授業が4番目(最低)です。当然ですね。

では、2番と3番の順位はどうなっているでしょう?

授業では、こういっていました。

1489391435685

面白くて、分からない授業の方が望ましい。

勿論、時と場合によっては当てはまらないケースも在ると思いますが、人生の殆ど多くの時で同じことが言えると、私は確信しています。

そもそも目の前の人間を楽しませようと思い接していない時点で、人と人との関わりの中で生活しているという事を、軽視している気がします。

そこら辺の本質に通じているのかなぁと思います。

『面白いは正義』についてブログ書いたことあまりなかった気がするので、また書けたらと思います(^^)

By |3月 13th, 2017|日記|面白いことをストックしておく はコメントを受け付けていません。

ぼんやり考えた事の成果物は、対話のための良い素材になる

僕は子どものときに「やらないといけないこと」をやっていました。

子どもの私にとって”やらないといけないからやる”は当たり前で、なんで周りの人がそれをやらないかいまいち解っていませんでした。

テストで良い点数をとることはやらないといけないこと。だからやるのだ(笑)

大人になってわかったのは、どうも多くの人はやりたいことだけやるのが自然で、私が当たり前だと思っていたやらないといけないことをやると言うのは、少数派だと言うことでした。

これどういうことかなぁと考えたのですが、おそらく、やらないといけないとされていることを、私はやりたかったということなのだろうと思います。

 

昔の話を考えるのはとても良いですね。

あの時の自分がいたから今の自分が居るということがよくわかります。

今の自分をつくっているのは、全部昔の自分です。

今自分が持っている価値観のあの部分は、あのときのあれと、あのときのそれが組み合わさっているなぁとか、色々考えたりするのは楽しいです。

とりとめもなく、ボンヤリと考えるのは楽しいです。こうやってぼんやり考えている事の成果が、人と関わるときにはとても役に立ちます。なんでも本質がわかると応用が効きます。

なんとなく文章を書きながら自分に向き合う時間は幸せです。

 

子どもと向き合う前に、まずは自分と向きあっておく。

何回か前に書いた覚悟の話に通ずるお話だと思っています。

By |3月 6th, 2017|日記|ぼんやり考えた事の成果物は、対話のための良い素材になる はコメントを受け付けていません。