先日高校入試が終わりました。

まだ合否は出ていませんが、一人の生徒から北海道公立高校の入試198点という自己採点の話が届きました。

嬉しかったし、ちゃんと頑張ったんだなぁという感想です。

この子、学校の担任や進路の先生からなんと言われていたのか知っていますか?
(もちろん読者のみなさんは知らないわけですが)

「あなた私立は、大谷高校受からないから、北高受験しなさい。」ですよ。

十勝の事情に精通している読者の方なら、わかると思いますが、なんとも不思議な話です。
公立198点取れる生徒が、大谷受からないはずがない(笑)

 

僕が生徒を指導するときは、学力ではなくポテンシャルを見るようにしています。

ポテンシャルとは、なにか?
それは、その生徒がどれくらいの頭の良さで、どれくらい脳が発達している子で、今後開花する可能性はどのくらいあるのかということです。

現時点の学力に合わせて進路を指導するのならば、EXCELとかの表計算ソフトで十分できます。(AIとかすら必要ない)

 

確かにその子、授業態度が悪く、テストの点数も良くなかったかもしれません。

でも、やってないだけで、文章や問題を理解できないわけじゃないんですよ。

そういうのは、テストの点数だけでは見えてこないんです。

なぜその点数なのか?というのは、その子のことをよく知り話を聞かなければわからないのです。

理解する力がないからできないのか、問題を読んでいないからできないのか、勉強していないからできないのか…

 

ほぼ2年間、その生徒とは週2回あってお話をしてきました。

だから、よくよくその子のことがわかりました。

その子がどういう人で、どういうことが好きで、いまどんな現状で、どうなりたいと思っているのか。

勉強よりも、学校の愚痴を聞いている時間のほうが長かったと思います。

思い出しても、だいたいずっと話を聞いていたと思います。

なので、最後、受験少し前、この子は自分にできる100%で頑張ってるんだなとわかりました。

もしかしたら、僕以外の人が見たら、「まだまだ頑張れる。」そう感じるところがあるかもだけれど、僕の知っているこの子であれば、これは100%であると、そう感じる頑張りを見ました。

 

この子の先生になれたことは、非常に有意義で、楽しく、幸せだったと感じています。

なぜそう言い切れるのか?
それは、僕が週2回、その子に会いに行くのが、単純に楽しかったからです。

 

最後に、お母さんからこんなメッセージをいただきました。

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このLINEをもらえたときの、嬉しさ、半端なかったです。

ほんと家庭教師冥利に尽きるね。

 

「眼の前にいるその生徒のことを大切に考えてあげる”だけ”で良い」なんて、家庭教師とは、なんて幸せな職業なんだろうか。

社長業の裏側で、どうしても家庭教師の実働をやめられない理由は、まさにここにありますね~
(本当は会社の宣伝したり、新規の生徒さん獲得のために動くべきなんだろうけれど、まぁなるようになるということで)